天台宗 長福寺|茨城県水戸市

今月のことば

今月のことば | 天台宗 長福寺|茨城県水戸市
今月のことば | 天台宗 長福寺|茨城県水戸市

祈祷札のご利益

当山長福寺では、毎年檀信徒へ 年末に総本山延暦寺祈祷札や 11月24日行う霜月会(天台大師講)祈祷札を配布しております。皆さんが神社、仏閣をお参りされる時、「家族みんなが平穏無事に送れますように」「おじいちゃん、おばあちゃんが健康で長生きできますように」「商売がうまくいきますように」などと願い、その願意のお札やお守りを求められる方も多いでしょう。神仏は皆さんお一人お一人の願い事をちゃんと聞いてくださって、それに応じてご利益を授けてくださいます。
 願意を聞いてくださって、ご利益を授けてくださった神仏に対して、その後の報告やお礼をされていますでしょうか。「無事に送ることができました。ありがとうございます」「お陰さまで仕事の方も順調にいっております」。
 神仏からのご加護やご利益を頂いたのなら、その報告とお礼を申し上げなくてはならないのです。人にお世話になったらご挨拶に行くように、神仏に対しても必ずお礼参りをすることが大切なのです。自分の都合で願うだけ願って、礼を欠く人間では失格です。「ありがとう」「お陰さまで」その感謝の気持ちをもってお礼参りをしていただきたいと思います。その時に古いお札やお守りをお納めし、新しきお札をお受けして所定の場所へ安置してください。お札やお守りは買うものではありません。授かるものだとご理解下さい。年のかわり目や、神社仏閣の大祭などの折に授けていただく風習がありますが、このお礼参りをされたとき、古きを納め、新しきものを授けていただいたらよいと思います。
 

 

 


それぞれの光を放つ

天台宗では、夕座のお勤め 通夜の法要などにて 阿弥陀経(あみだきょう)というお経をあげる。阿弥陀経の中に 極楽の池にある蓮(はす)の美しさを説いた処がある。「青い花は青い光を放ち、黄色の花は黄色の光を、赤も白もそれぞれの色の光を精一杯放って、互いに相手を照らし照らされている実に美しい蓮の池。他の蓮の花よりも我が美しいと自慢することもなく、劣ると卑下(ひげ)することもなく、それぞれの色光(カラー)を大事にすることで、全体が大きく輝いている」と説かれている。
 一部上場の大企業に入社して世界を飛び回ることもいい。炎天下、額に汗してトラクターを操るもいい。美味しいお蕎麦作りに打ち込んでいる姿も美しい。つまり一人ひとりが、己が特性に目覚めて、一途に打ち込んでやっていくことが大切なのです。
 昔も今も、子どもに勉強しろと言い、良い成績をとらせて、よい学校に入れようと日夜教育について奮闘する親が多い。こうした子どもの特性を無視したつめ込み主義が、はたして自分の特性に目覚め一途に打ち込む美しい姿の大人となるだろうか。伝教大師が天台宗を開かれて1200年。 それぞれの子どもたちが、各々のカラーを出して、相互に照らし、極楽池の蓮のように美しく輝く世界になるように祈りたいものです。


掬水月在手 弄花香満衣

(水を掬(きく)すれば月、手に在り 花を弄すれば香(か)、衣(え)に満つ)唐の詩人、于良史(うりょうし)の詩「春山夜月」の中の1句です。

 

 

春の月は風情があるが、秋の月が一番 良い。

手で水を掬(すく)えば、そこに月が映り、花を手折れば着物に香が移る。

遠くの月を掌の中に受け取ることもできるし、形のない香りを持ち帰ることもできます。 

彼岸を過ぎ、季節はすっかり秋。木々の色も、雲の形も変わり、風は涼しいから やがて冷たく感じてまいります。

大半の人は、空の月を眺めることさえ、余裕が無いようですが 月が輝き、花が香り、木々が紅葉し、穏やかな風の流れを、心の中に持っているのも楽しいものです。


秋の彼岸

暑い夏もすぎ、ようやくすごしやすいお彼岸のころとなりました。 台風25号の影響により墓参にも影響がでました。年に二回の彼岸会がありますが、「暑さ寒さも彼岸まで」ということばが示す通り、春には漸く寒さも遠のいて花だよりもちらほら聞こえる頃、秋には夏の暑さも和らいで涼しい風が心地よい頃が彼岸会です。お彼岸は七日間ありますが、その中日は春分の日・秋分の日といって太陽が真西に沈むのに因んで、阿弥陀様の西方浄土に向かって手を合わせ、後生の安楽を願ったものです。
 彼岸とは仏の世界、此岸とは私たちが四苦八苦する迷いの世界です。いうならば、彼岸は遠く、此岸はなれ親しんだ世界ですが、でも、「これでいいのだろうか」とふと考えることがありはしませんか。そんな時、仏の世界を知りたく思うことでしょう。彼岸への道は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵の修行をしつつ歩まねばなりません。ですから、彼岸会には、ご先祖を敬って墓参に行かれることでしょうが、それと共にご自身の心のあり様を見直すことも大切なのです。


お盆について

お盆は、古いインドの言葉ウランバーナ(逆さに吊された苦しみ)からきた盂蘭盆(うらぼん)を略したものです。お釈迦様の十大弟子の一人で神通力第一といわれた目蓮(もくれん)さんが、その力で餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しんでいる母のことを知って、驚いてお釈迦様に相談されました。するとお釈迦様は「夏安居(げあんご・夏の修行)がまもなく終わるから、七月十五日に修行を終えた僧に供養しなさい。必ず功徳がありますよ」と教えて下さいました。目蓮さんはその教えのとおり実行して、母をその苦しみから救うことができたそうです。この故事にもとづいてお盆の行事が行われるようになりました。日本に伝えられたのは、今から一千三百年前のことです。
 お盆には、亡き両親をはじめご先祖があの世から帰って来られるので、大切におもてなしして、心から感謝を捧げる期間とされ、今では日本の夏を彩る国民的行事になっています。全国的には 八月十三日から十六日(東京・ 水戸(上町)は七月)にかけて行われ、墓参りのために郷里へ帰る人で大移動が生じます。
 けれども、お盆の行事が形式に流れて、生きている我々がどう受け止めるかという大事なことが忘れられているようにも思われます。私達が考えなければならないポイントをあげてみましょう。

  1. 精霊棚(しょうりょうだな・盆棚)を作り、花や供物 を御供します。
    先祖の御霊(みたま)を迎える準備ですが、家族みんなに心の準備ができていますか。亡くなっていく人は、自分で果たせなかったことを後に残る人に実現して欲しいと願っています。幸せになって欲しい。仲良く頑張って欲しい。二度とない人生を悔いなく生きていますか、と問われる時でもあるのです。
  2. お墓やお寺にお参りします。
    きれいに掃除をし、香を焚きくゆらせ、花や供物を供え、亡き人に対面し、精一杯さわやかに生き抜きますと誓いましたか。言葉に出さずとも、心は通い合うのです。本当に大切なのはこの対話です。
  3. 菩提寺は心のよりどころです。必ずお参りしましょう。
    御本尊様にお参りし、先祖代々の御霊を供養し、導いてくださる御本尊にお礼を申しましょう。先祖を守ってくれるお寺さんに御布施を封筒か半紙に包み届ける人もいます。
  4. 墓参りのために郷里に帰る旅は、ただの旅行とは違います。
    それは、自分の心を洗う旅でもあります。私達の今のくらしを振り返り、いかに豊かに、恵まれて暮らしているかを考えましょう。仏教徒の経済は知足(ちそく)が根本です。欲望を制御することの大切さを考えましょう。
  5. お盆の前後によくお施餓鬼(せがき)の行事があります。縁もゆかりもない餓鬼(供養されていない霊)にほどこす功徳が、貴方のご先祖に回り向けられるのです。世間には、貧しさや病に苦しんでいる人が多数おります。そういう人達の不幸に心を馳せる布施の気持ちが大切です。
  6. 天台宗では布施の心を育てるためにも「一隅を照らす運動」という実践活動を進めています。家庭でこの運動に参加しましょう。詳しくはご住職におたずね下さい。

 私達は平素忙しさの中に埋没していて、人としてどう生きるべきかを考えることがおろそかになっています。お盆を機会に一度振り返ってみましょう。


偲・しのぶとは

「亡くなったことがいまだに信じられません。受け入れることができません」

 涙をぬぐいながら、そうおっしゃったのは、ご主人を亡くされた檀家の奥さんでした。七十代のご主人は、ある日、突然の脳梗塞に倒れられ、最後の会話や看取ることもかなわないままに、息を引き取っていかれました。

 あまりにも突然の別れに、心の整理もつかず、現実を受け入れることのできない日々。ご葬儀から少し時間の経った49日忌法要後、胸の内に抱えておられたものを、少しずつ、少しずつ話しをしておりました。

 しばらくお話しされて落ち着かれたのでしょう。最後に、「人と人には別れがありますが、仏さまと私に別れはないんですね。先に浄土へ往った主人は、私にとって仏さまです。悲しみはつきませんが、仏さまと成った亡き主人との縁を大切に、これからの人生を生きていきたいと思います」と話しをしておりました。

 出あいなき人生、別れなき人生がないように、私たちの人生は思いがけない出あいと別れを繰り返しながら、ここまで歩んできました。そして出あった者とは必ず別れていかねばならないように、「出あい」と「別れ」は決して切り離すことのできないものなのです。

 もしかすると世間では、「出あい」にこそ意味があって大切な縁とされ、「別れ」は悲しみだけの縁であると受け止められ、敬遠されるものかもしれません。もしその方との「出あい」が大切なものであれば、「別れ」もまた、決して悲しみだけで終わらせてはいけないのです。

あとに残された私たちは、忘れがたい方との別れを通して、さまざまな仏事や法事のご縁をいただきます。このご縁は、亡き方を偲んでいくとても大切な時間となるのです。

 「偲・しのぶ」という漢字は、「人を思う」と書いて「偲」となっています。「偲ぶ」という言葉は先立って往かれた方々に思いをいたしながら、亡くなりになられた方から、いただいたご恩に心を向けていく、そんな在り方を教えてくれている言葉なのです。

 

 

 


自我のこころ

 

 

あいにくの雨

めぐみの雨

自我のこころが

ひとつの雨を

ふたつに分ける


忘己利他(もうこりた…己を忘れて他を利する)

 

 「人間の性(さが)として、私たちはどうしても自分中心に考えてしまうことがあります。もっと欲しい、こうして欲しい、とまわりに望むことが多くなりがちなのです。」我欲が先立つのです。
 伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)さまの言葉に『己(おのれ)を忘(わす)れて他(た)を利(り)するは慈悲(じひ)の極(きわ)みなり』という言葉があります。自分のことは後にして、まず人に喜んでいただくことをする、それは仏さまの行いで、そこに幸せがあるのだという言葉です。つまり我欲が先に立つような生活からは幸せは生まれないのだということです。
 「インドの母と言われた故マザー・テレサさんの講演のなかでこういう話がありました。
 ある日、七人の子供をかかえる貧しい母のところへ、マザーは両手にいっぱいほどのお米を持っていってあげたのでした。するとその母親はそのお米の半分を手にして外へ出ていきました。マザーが問うと、隣りにも同じような貧しい親子がいるので、そのお米を分けてきたのだと言うのでした。一俵もあるお米ではありません。自分の子供たちの一食分にも足りないお米でさえ、それを半分にして、隣りの子供たちも喜ぶだろうと分けてやれる崇高な精神にマザーも感動したのです。 (天台宗HPより)

人間万事塞翁(さいおう)が馬

 

 

「人間」の意味は、「世間」「世の中」「人生」という意味

「万事」の意味は、「あらゆること」「すべてのこと」という意味であります。

「塞翁」(さいおう)とは、「お城に住むおじいさん(塞=城塞、 翁=おじいさん)」という意味

では「馬」は、このことわざの由来となったエピソードから来ています。

「中国の北のほうにお城があり そこに住むおじいさんの馬が、ある日逃げ出してしまったのです。

逃げ出したことを知った近所の人々は、おじいさんを慰めました。

しかし、おじいさんは「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」とあまり気に留めていませんでした。

しばらく経ってから、なんと逃げた馬が戻ってきたのです。

しかも、たくさんの馬を連れて戻ってきました。

近所の人々は、喜びましたがおじいさんは「このことが災いになるかもしれないよ」と言うのです。

しばらくすると、おじいさんの息子がその馬から落ちて怪我をしてしまったのです。

近所の人々がお見舞いに行くと老人は「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」と言いました。

やがて戦争が起き、この城も戦争に巻き込まれてしまいました。

しかしおじいさんの息子は足を怪我していたので、戦争に行かずに済みました。

このエピソードから人間万事塞翁(さいおう)が馬という ことわざが生まれたのです。

 

 

人の世の幸・不幸は、いつどう転ぶか分からないので、現時点だけで判断するのは早計であるということです。 人生には予測できない要素が多々あり、目の前の結果がたとえ不運に思えても、後に好転する可能性がある。 また、今は好調でも、どこかで大きくつまずいてしまうかもしれない。 そのため、常に謙虚でいることや、長い視野で物事を捉えることが大切だという教訓なのです。


しあわせ

しあわせは

築くものではなくて

気づくもの


交通・アクセス

公共交通機関でお越しの方へ


  • 常磐線 水戸駅にて臨海大洗鹿島線乗換
  • 常澄駅(水戸駅より2駅10分)下車 徒歩25分(2km)

お車でお越しの方へ

  • 常磐自動車道・水戸JCより東水戸道路に入り、水戸大洗IC出口より約3分
  • カーナビを利用すると山門階段下の正面駐車場に案内されますが、階段が急ですので、大串貝塚ふれあい公園前の門を奥に進み、客殿前駐車場をご利用ください。
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