
員数 | 1幅 |
---|---|
分類 | 絵画(掛幅) |
本紙法量 | 縦105.2×横36.2センチ |
品質形状 | 絹本墨画 |
制作年代 | 江戸時代後期 |
添付資料 | 修理銘「出山釈迦。塩山智運寄附。長福寺什宝。大正十五年(1926)七月修覆。当山第五十二世髙橋純琇代」。 |
調査者 | 藤元裕二・藤元晶子 |
員数 | 1幅 |
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分類 | 絵画(掛幅) |
本紙法量 | 縦105.2×横36.2センチ |
品質形状 | 絹本墨画 |
制作年代 | 江戸時代後期 |
添付資料 | 修理銘「出山釈迦。塩山智運寄附。長福寺什宝。大正十五年(1926)七月修覆。当山第五十二世髙橋純琇代」。 |
調査者 | 藤元裕二・藤元晶子 |
画面向かって左を向く、釈迦の立像が描かれている。釈迦は、通例の如来の相とは異なり、やつれた風貌に表されるが、これは特に禅宗において好まれた出山釈迦(苦行釈迦)の像である。彩色は交えずに水墨を以て表され、風に煽られてうねるような衣文や、明るさも感じられる頭光の表現など、この技法に手馴れた様子も見て取れる。作者は不明であるが、狩野派に絵画を学んだものと考えて良かろう。制作年代としては、江戸時代後期を推定している。
釈迦の一生からすると、出山の後にスジャータからの乳粥供養を受けて体力を回復し、やがて成道に至る(如来となる)。そのストーリーから鑑みると、画中の時点で釈迦は未だ悟りを開いていない。しかし、白毫相、肉髻、頭光など、仏としての形も部分的ながら表されており、画中の人物が通常のものではないことを暗示するのである。