長福寺の解説 〜中将姫ゆかりの寺(水戸十か寺)〜

 長福寺は塩崎山密厳院と号し、塩崎の八幡山にある。薬王院(水戸市)、仏性寺(水戸市栗崎)、西福寺(大洗町磯浜)、法円寺(茨城町小幡)、円福寺(茨城町鳥羽田)、如意輪寺(茨城町小鶴)、観音寺、西徳寺、満福寺とともに水戸十か寺といわれ、天台宗の古刹である。
 創建は清和天皇の御代の貞観元年(859年)平安時代で開基は慈覚大師。本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作。恵心僧都は源信(942〜1017)で「往生要集」の作者で、中世念仏興降のさきがけの人である。また中興開山は栄尊和尚である。
 栄尊和尚はかつて、村松虚空蔵に参籠して、両界曼茶羅ならびに三千仏の絵を拝受したという。この曼茶羅には康平3年(1060)8月11日の銘があった。康永3年には栄尊和尚が本堂を再建。その後、天保10年(1839)火災により、山門だけを残しすべてを焼失した。その後、現在の本堂が再建(天保12年)された。明治15年には世良田長楽寺の末寺を離れ延暦寺の直轄寺となり、 中興より今日に至るまで56世と続いてる。
 曼茶羅は金剛界、胎蔵界の蓮の両界曼茶羅で寺宝になっている。これは中将姫の作といわれている。中将姫は横佩大臣藤原豊成の女、大和当麻寺に入って修業した。そして、蓮茎の糸で観音無量寿経の説相をあらわした曼茶羅を織ったという。
 水戸徳川家から拝領した天蓋(導師登高座などの上にかざすきぬがさ)釈迦三尊画像、慈恵(元三)大師画像、薬師十二神将画像など貴重な宝物を下賜している。
 また山門の脇には寛文10年(1671)の十一面観音、延宝4年(1676)の聖観音、如意輪観音などの古い石仏があり、寺の歴史を物語っている。